こんにちは。
安藤はま子です。
「愛」とは人間にとって重要なテーマです。あなたにとってはいかがでしょうか?
サラカオルのカウンセリングは「愛」抜きには考えられないほど、「愛」についてどこかの場面で話し合います。
子育て中の親御さんがカウンセリングに見えたときに「無償の愛」について説明したり、話し合ったりします。子育て中の親御さんにはぜひ「無償の愛」について知ってほしいからです。
今回はその「無償の愛」を中心にお話ししていきます。
無償の愛とは?
無償の愛とは、「見返りを求めずに純粋に相手のためを思う気持ちや行動」のことを言います。 「無償」とは、見返りや損得がないということです。
無償の愛は、自分のことは考えず、相手のありのままの姿を受け入れ、ただ相手のために思い、行動することです。
相手に何かを期待せず、何も望まず、誰からの評価も受けず、ただただ愛をもって接することです。
無償の愛とは意識的にやるものではありません。意識した時から計算が働いて無償の愛ではなくなります。無償の愛は心の奥から純粋に湧き出てくるものです。
人間は本能的に自分を保護したい気持ちがありますから、自分のためになることを自然に考えてしまうものなのです。そうした損得の気持ちが働いているのが人間です。それはいけないことではなく、自分が生きるため自分を守る必要があるのですから当たり前の行動なのです。
ただ、そのような状態は無償の愛とは言えません。ですから、人間にとって無償の愛を実践することはとても難しいということなのです。
何も見返りを求めず、純粋にその人のことを考えている無意識に近い状態が無償の愛です。
さて、これほどに難しい「無償の愛」は、本当にあるのでしょうか?
無償の愛はあるのか?
スピリチュアル的には人間は愛というエネルギーから生まれていると言われています。ですから、根底には無償の愛をみんな持っているのです。ただ、愛が眠っていたり、小さすぎたりして気が付かない場合もあります。
ではどのようなときに無償の愛があるのでしょうか?
まず、見返りを求めない無償の愛を実践している代表は親です。特に母親です。母親は子どもがお腹にいるときから子どもを守るための生活をしています。
コーヒーが好きでも、お酒やタバコが好きでも、お刺身のような生ものが食べたくてもお腹の子どもに悪影響が及ぶことを考え。なるべくとらないように我慢します。これは無償の愛です。
子どもが生まれれば、昼夜関係なくおっぱいやミルクを上げて、オムツを交換して、お風呂に入れます。これも無償の愛です。
もちろん、親の中には打算で子育てをする人もいるかもしれませんが、いつもずっと打算的な親はいません。子どもを育てることは無償の愛なしにはできないことなのです。
無償の愛には優しさだけではなく厳しさも含まれます。親は子どもから嫌われても子どもに注意したり怒ったりすることがあります。子どもが心身ともに成長して社会生活をできるように本能的または意識的に行っていることが多いものです。
子どもに嫌われても、子どもにイライラしても子どもの面倒を見るのは無償の愛があるからです。多くの親は自分の無償の愛を知らずに子どもに愛を注いでいます。
親以外での無償の愛は少ないのですが、夫婦間にも無償の愛があります。夫や妻が仕事で大変な様子を感じてできることをするのは、見返りを求めていないのだとしたら無償の愛です。夫や妻の心の痛みに寄り添ってあげるのも無償の愛です。
子どもから親への無償の愛もあります。病気の親を介護したり、生活が大変な親の助けをしたり、親を訪ねて喜んでもらうことも、そこに打算的な気持ちがなければ無償の愛です。
職場の人間関係の中にも無償の愛はあります。例えば、上司が部下の成長のために厳しくする場合などです。嫌われ役をできるのは愛があるからなんです。
「「無償の愛」と感じたなら無償の愛
愛は目に見えないエネルギー状態ですから、無償の愛をどのように理解すればいいのかわかりずらいですよね。
無償の愛は与えるだけでなく感じるものでもあります。形として見えなくてもその愛のエネルギーを人は感じるものです。
あなたが誰かからしてもらったことが「無償の愛」だと感じたなら、それは無償の愛です。
そのときはわからなくても時間が経ってから、「あのとき、親が叱ってくれたのは今思えば無償の愛だったなあ」「大手術の後、息子は忙しいのに毎日見舞ってくれたのは、自分への愛だった気がする」などというようなことです。
しかし、愛が眠っていたり小さかったりすると、無償の愛はきびしさという一面もあるため感じることが難しい場合もあります。それで、無償の愛を受けた人の魂の成長ができるまで気付かないことも多いのです。
人間は愛を学びながら人生のゴールを目指す
人間には生まれてきた目的があります。それは魂を成長させるためです。
魂の成長は自分自身や環境や人間関係等すべてのなかにありますが、究極的にはそうした経験をしながら「愛」について学ぶことなのです。
人間として生まれてきたのは、自分の魂の源が愛であり、その愛のエネルギーを更によりよい愛のエネルギーに成長させていくためです。
そのために、人間として生きるということは誰もが、悲しみ、喜び、苦しみ等さまざまな経験から愛を学び続け、人生のゴールへ向かっていくということなのです。
愛に近付いていくための5つのヒント
無償の愛は難易度が高いですからあまりできないものです。できる範囲で愛を意識しながら生きていくことで無償の愛を実践できることも増えていくでしょう。
ここでは愛に近付いていくための5つのヒントについて説明しておきたいと思います。
以下のことができなくても無償の愛は湧き出てくるものですが、以下のようなことを心がけていくことで、愛に近付いていくことができるでしょう。
- 自分自身を愛する
- 親の愛を知る
- 相手への期待や理想をなくし、相手の気持ちに寄り添う
- 自分も相手も適度な依存と自立ができるように意識する
- 起こったことを自分のこととして受け入れる
自分自身を愛する
自分を愛することができるようになると、他人や物を愛することもできるようになっていきます。
自分への愛がなければ、他人を愛することはできません。愛するということがわからないからです。
自分を愛するとは、自分の良いところも悪いところも認め受け入れることです。これは簡単ではありませんが、意識して日々実践していけば徐々にありのままの自分を愛していけるようになります。
自分自身を愛することとは、駄目な自分をゆるすことでもあります。自分へのダメ出しをしているときは、ダメ出しをする自分も駄目な自分もゆるしてあげてください。
自分を愛する方法については以下の記事に少しづつ触れていますので参考になさってください。
親の愛を知る
愛や無償の愛に近付くことは、親の愛を知ることが一番わかりやすいでしょう。
なぜなら、大きな愛の実践は親の中にたくさん見られるからです。また、子どもがいる親は無償の愛が自然に湧いてくるからです。
傲慢や執着、打算などがあるのも親ですから、あなたからしてみたら無償の愛がわからないということもあるかもしれません。
それでも、お腹の中で育ててくれたことや生んでくれたこと、育児に疲れても自信がなくても面倒をみてくれたことなどを想像してしてみましょう。それは親の無償の愛なんです。
自分の魂の成長ため、悪い親を創ることがあります。これはそうしなければ学べないことがありますので仕方のないことなのですが、愛のない親のままにしておくことはあなたの成長のためにももったいない事です。
親の愛に早く気がつけるといいですね。
私のところでは、親の愛を知ることができるカウンセリングも行っていますので、親との関係を変えたい、親からの愛を知りたい方は受けてみてください。
相手への期待や理想をなくし、相手の気持ちに寄り添う
相手への期待や理想を失くしていき、相手の気持ちに寄り添うことで愛を実践できるようになります。
愛や無償の愛は、自己中心的で傲慢な状態では実践することができません。
子どもや親、夫や妻、職場の人たち、近隣の人たちなどへの期待や理想というものは多くの人が持っているものです。しかし、期待や理想は相手を愛するよりも自分の思いのままにコントロールすることになりやすいのです。
これでは愛に近付くのではなく、愛から遠ざかることになってしまいます。
そして、自分のことしか考えられず相手の気持ちに寄り添うことができないと、愛や無償の愛は湧き出てこないものです。
相手への期待や理想をなくすこと、相手の気持ちに寄り添うことは簡単にできることではありませんが、意識して行くことで愛や無償の愛に近付いていけるでしょう。
自分も相手も適度な依存と自立ができるように意識する
お互いが助け合いながらも、できることは自分でやれるような関係になるよう意識していく過程で愛も育っていきます。
人間は誰でも弱さを持っていますから、完全自立していくことは無理ですので、適度に依存しあうこともあります。
また、自立することもお互いに意識していくことが必要です。
優しさだけが無償の愛ではなく、相手のためにきびしくするのも無償の愛だとお話ししましたが、相手が自立できていない場合にはきびしい言葉も使わなければならないこともあるでしょう。
依存と自立を両方大事にする気持ちが愛や無償の愛を実践することにつながっていくのです。
起こったことを自分のこととして受け入れる
毎日さまざまなことが起こるのが人生ですが、起こったことを相手や環境のせいにしないで自分のこととして受け入れていくことで、愛に目覚めていくことができます。
起きていることを人のせいにしたいのは誰でも一緒ですが、そこから抜け出さないと、常に悩み苦しまなければならないのです。
このことに気付くにも、自分の成長のタイミングがありますからすぐにできなくても全く問題ではありませんので、自己否定せずあなたのペースで進めていってください。
外側に問題解決を求めずに自分の内側に求めることを意識していくことによって、起こったことを受け入れられるようになるでしょう。
無償の愛の実践は結果的に幸せを受けとることになってしまう
面白い事に、見返りを求めず無償の愛を実践している人は、幸せを求めているわけでもないのに幸せになってしまうということが起こるのです。
なぜなら、愛があるところには、平安な心が生じるからです。
だからと言って、「幸せになれるから無償の愛を実践しよう」と考えたなら、その時点で無償の愛ではなくなってしまい、自己中心的な行いでしかなくなるのです。
計算しないで心から湧き出る愛を実践できる人が真に幸せになっていけるのです。
愛とは難しいものですが、あなたにできる真実の愛を意識して実践なさってみてください。あなたが幸せになることでこの世界全体の幸せにもつながっていきます。
最後に
私にとっても愛は難しく、この記事を書くにあたって改めて愛について考えることができました。
最後までお読みいただきありがとうございました。